瞬き

Category : みかん日記

「視野が狭い人は、得てして自分の視野の狭さに気づけない」

冷静になると、後悔してしまうことってありますね。。。

でも、その気づきがあることに、全ての意味を見出すこともできます。

傷ついてやっと人の優しさを受け入れられるようになったり。

だから、全てが貴重な経験なんです。

恋人に振られようが、奥さんに逃げられようが。

湧き上がってくるマイナスの感情も、その後に訪れる喜びに変換できる日が来ます。

一番大切なのは、希望を捨てないことです。ここでいう希望とは、自分の欲求を満たしたいという願望です。

食べ物がない時代は、食べることが希望でした。

お金がないからお金を求め、もっと上手くなりたいから訓練するんです。

自分の欲望が希望になって、生きる活力になります。

ただし、この希望を他人に委ねると、人生に主体性がなくなり、依存が生じます。本当に苦しいときは、それもありかもしれませんけどね。

依存と助け合いは違います。「与えられたい」か「与えたいか」に変換すると分かりやすいですが、またこの「与える」という言葉のニュアンスの曖昧さたるものや。

与えてたつもりが与えられていたり、なんてことはざらにありますし、ほとんどの関係において、どっちがどうなのかを断定することはできかねるでしょう。

ニートだって、親の希望や生きがいかもしれません。実際の関係性は別として。

お金なんて無くったって、周りの人に元気や幸せを与えている人だって、沢山いることでしょう。

あなたは、死ぬ間際にどんな基準をもって自分の人生の充実度を判断すると思いますか?

それは人によって違うかもしれませんが、僕の場合の予測では、「やりたいことをやりきったか?」が第一になるだろうと思います。

僕は、その瞬間に自分がやりたいことをできる限り尊重しているので、ある意味いつ死んで後悔しないかもしれません。逆に言えば、まだまだ死にたくはないですけどね(笑)

たとえ、愛する人を残したとしても、それまでに全力で愛していられたならば、潔く死ねるような気もします。

とりわけ日本で自殺者が絶えないのはどうしてなのか。

生きる希望を見いだせなくなるのは何故?

偏った見解かもしれませんが、あえて結論付けるならば、「人に何も与えることができない人間と思ってしまったから」なのかな。いわゆる無価値観。たしかに、自分には生きる価値がないと思ってしまったら、生きていられませんね。

分かりやすい例でいうと、多額の借金だったり、極端な孤独や劣等感。

逆に言えば、人に与えるほど人間は幸福を感じることができるということになります。

うん。何となく腑に落ちますね。ここぞとばかりに閉めましょう。


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